小説:「土曜の夜と日曜日の夕方」〜前編〜

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一人でやり過ごす日曜日の夜は、いつも長くて寂しい。
仮住まいのこの場所で、キッチンのシンクに置いたカップに水を流し込んだ。明日洗えばいいやと独りごちながらカップを見つめていた。溢れ出す水を見ていて、ふとあの時を思い出していた。
テレビは試験電波の画面に変わっていた。

 

気づいた時には、泣きながら微笑んでいるのび太の顔が大きなスクリーンに映し出され、やがてスキマスイッチの「ボクノート」でエンドロールを迎えていた。昨夜も帰宅したのは、午前0時をまわっていた。
「あぶなーい、泣きそうになっちゃったよ」長女の美咲が少し照れくさそうに話しかけてきた。
俺は、ほの暗い映画館で、まだぼんやりとした意識の中、昨年幼稚園に入園したばかりで素直にそんな気持ちを表現できる娘が誇らしく、嬉しかった。
小学二年の長男翔太は、いままで映画なんか観てなかったような素振りで「パパ、プレゼント買いに行こっ!」とそそくさと席を立って出口に向かって歩き出した。今頃、妻の陽子は街でショッピングを楽しんでいるはずだ。
今日は、翔太9回目の誕生日、2006年3月12日。

ここ福島も、春がすぐそこまで来ているような気持ちよく晴れ渡った日曜日になった。いつもの待ち合わせ場所で、陽子はお気に入りのお店のショッピングバッグを肩に掛け、子供たちに手を振っていた。
福島市までドライブがてら出掛けるショッピングと食事が、月に1、2回の週末お決まりになっているささやかな家族の楽しみ方だった。
俺たちが住んでいる福島県南相馬市には、映画館もショッピングモールも無い。ただ海岸線と田園が広がるだけのそんな場所で、俺と陽子は生まれ育った。
穏やかで美しいこの景色は、永遠に変わらず続いていくんだろう、続いていって欲しいと思っていた。
「ママ!、僕のプレゼント買う番だよ!」と翔太は、元気よく陽子のもとへ駆け寄っていった。
自分の買い物が済んで満足している陽子は、「わかった、わかったー」と笑顔とも引き攣り顔とも区別できない、何か嬉しいことでいっぱいに満たされているんだろうなあという時のそんな笑顔で、長男の肩に腕をまわし、髪の毛をクシャクシャにした。

「今晩、『ポンヌフ』でもいい?」と小さな声で陽子におどけた感じで聞いた。
「久しぶりだね。翔太の誕生日だし、いいじゃない!」と陽子は助手席で夕焼けをまぶしそうに言った。子供たちは後部座席でもたれ合いながら眠っていた。
「ポンヌフ」は、俺たちが結婚する前から、よく通っていた地元のレストランだ。その店の名前は、「ポンヌフの恋人」というフランス映画からとったものなんじゃないかと思っている。この映画は、1992年に日本で公開され、それからしばらくしてこの店はオープンしたのだ。
俺はこんな日には、なぜかそこの料理が食べたくなる。
昔は、楽しかったデートの帰りやあるときは悩みごとを相談したり、将来を語りあったり、二人にとってその店は、人生の句読点のような場所だ。しかし子供たちが生まれてから小さなうちは、なかなか遠慮して足が遠のいていた。
夕方6時前、その店の駐車場に車を入れた。
「着いたよ」と陽子は、嬉しそうにやさしく子供たちを起こした。
「先生!」とびっくりして翔太が言った。俺は、学校の夢を見ていたんだなとバックミラー越しに笑った。翔太の寝言にびっくりして美咲も目を覚ました。

「パパ、ここのハンバーグおいしいね」翔太が口の周りをデミグラスソースでいっぱいにしながら言った。美咲は、黙々と上手く巻くことのできないスパゲッティと格闘している。
つい一年前までは、こんなにゆっくりと食事もできなかったのに、子供たちは日々成長しているんだなと感慨深かった。
陽子もきっと俺と同じ気持ちで、今という時間を食事といっしょに味わっているんだと思った。
この生まれ故郷南相馬で、ずっとこんな時間が続いていって欲しいと願っていた。