小説:「土曜の夜と日曜日の夕方」〜後編〜

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「お母さん! お母さん!」
まわりにはたくさんの遺体があった。何度も目を瞑りたくなる気持ちを押さえて母親を探していた。
昨夜は、真っ暗になった町で母親を探していたところを青年団の男性に助けてもらい、近くの避難所で夜を過ごした。
そこで母親がお世話をしていたという老婆と出会った。老婆は、昨日、地震の一時間程前に私の家を出て行ったと教えてくれた。
すごくやさしく接してくれる母が、家に来てくれるのをいつも待ち遠しかったと言っていた。そんな言葉を聞いて、なんでもっと素直で優しく接することができなかったんだろうと自分を罵った。
夜が明けるまで、避難所で不安そうにしている老人たちの話しを聞いてあげたり、手伝いなどをして過ごしていた。

津波の水が引いた町は、建物やクルマ、人々やその思い出までを全て持ち去り、空腹を満たされた獰猛な肉食動物のようにいまは静かに横たわっているようだった。
昨夜は、暗くてあまりわからなかったが瓦礫がいたるところで行く手を阻み、明るくなったいま、それらの存在がわかる分だけ、探す気力が削がれて途方にくれてしまった。
「うあー、なんで? なんでなの……」しばらくその場で呆然と立ち尽くし、血の気の引いた身体がわなわな震えながら、無意味な問いかけしか出てこなかった。
私は、人の遺体をテレビドラマでしか見たことがなかった。遺体はそこら中、無造作に横たわっていた。
その多くは亡くなる直前に何かをしようとしていたように見えた。そのままの格好で死後硬直していた。若い母親に見えるこの女性は、きっと我が子の手を最後まで引いていたんだろう、思い切り伸ばした右腕とその視線の先を見つめる恐怖におののいた表情のままで亡くなっていた。
私は、「お母さん、お母さん」とつぶやきながら摺り足で前に進んでいった。まわりには私と同じように身内を探している人たちがたくさんいた。
海岸まで200m手前くらいの所に差し掛かった。
ここは、工場と住居を兼ねられた建物だろう、3階建ての鉄筋コンクリート造の建物がひっそりと残っていた。窓ガラスも中の家具もまったく残っておらず、全てが津波に流されてしまっていた。もしかしたら建てている最中だったんじゃないかと錯覚するくらいに外観だけが綺麗にたたずんでいた。この建物に塞き止められたかのように、辺り一帯に瓦礫が固まっていた。
どれくらい探していたんだろう……時間の感覚がまったくわからなくなっていた。
肉体的な疲れと精神的な疲れで身体が悲鳴をあげていた。歩きにくい高いヒールがより負担を与えていた。
瓦礫の脇に太くて大きな木があった。その根元に腰をおろし、少し休むことにした。
腰をおろすと同時に自然と大きなため息がこぼれた。誠さんはどうしているのかなあとぼんやりと考えていた。しばらくして気づいたが、かすかに波の音が聞こえている。いつもと変わりのない穏やかな海だった。そんな波の音に耳をすましていると、まだ昨日の出来事がまるで嘘のように思えて仕方なかった。
木の根元は、なぜかすごく温かみを感じられて、昨夜からの疲れと睡眠不足でうつらうつら眠気が襲ってきた。

どれくらい眠っていたんだろう……気がついた時には、木の根元で横たわっていた。ゆっくりと目を開け、何も変わっていない現実に急に引き戻された。
何気なく見上げた木の枝に何かが引っかかっているように見えた。まだ意識がぼんやりしていてハッキリとわからないが人のような形をしているように思えた。
ゆっくりと立ち上がり、その物体に近づいた。
「お母さーんっ!」
津波に流されまいと力の限り最後まで木にしがみついていたかのように、そのままの形で葵ちゃんの母親は亡くなっていた。