小説:「土曜の夜と日曜日の夕方」〜後編〜

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葵ちゃんの家庭は、6年前に父親の浮気が原因で母と娘の二人家族になった。
それでも母親は幼い娘のため気丈に振る舞い、日中はスーパーで、夜はスナックで働き、娘には惨めな生活をさせまいと頑張っていた。
彼女もそれに応えるように、中学生までは真面目に生活していた。
母親が一生懸命頑張っていることも知っていたし、疲れているのにそれでもいつも明るくしてくれている母親が大好きだった。
中学を卒業し、高校に無事進学ができてしばらくして母親は、一人の男性を自宅に連れてきたのだという。
以前からその男性と付き合っていたのだが、娘が高校に入るまではその存在を隠すようにしていたのだ。
その男性の存在を知ってから、高校も休みがちになり、母親との仲もだんだんと悪くなっていった。
彼女が出会い系サイトに書き込みしていた「アイツ」というのが、その男のことで、たまたまその出会い系サイトで知り合った俺が、母親が連れてきた男性と同じ歳だった。そんな縁で、いま一緒に俺がここにいる。
それは、母親への一種の復讐めいたものと、その男がどんな風に母親に接しているのか疑似体験がしたかっただけなのだと、俺は思う。
母親は、いま介護ヘルパーの仕事をしていて、市内に住む身体の不自由な老人のために働いているのだと言っていた。
今日は、海岸部の家を数件まわると、朝食が準備されたテーブルに一緒に置かれていたらしい。
最後に電話で話した時にも、これから伺う予定の島田さんが心配だから、そっちに向かうと言っていたのだと……

俺たちは、とりあえず服を着てドアまで行き、精算を済ませて部屋を出た。
廊下には、俺と同じ歳格好のカップルや年配のカップルが俺たちの前を歩いていた。
連れの女性たちは皆、ハンカチで目を押さえながらすすり泣いていた。
俺は抜け殻同然になっていた。自分の意識とは別の何者かによって勝手に歩かされているようだった。
葵ちゃんは、もう泣いてはいなかった。
外はどうなっているんだろう? これからどうなっていくんだろう? 
このまま現実の世界に戻りたくなかった。きっと葵ちゃんもそう考えているのだろうと思った。
ホテルの自動ドアが開き、外へ出た。冷たい風が一気に俺たちを包み込んだ。
外はまだ明るかったが、これから一生夜の明けない闇に包まれていくように思えた。二人は全てを諦めきった感じの足取りでホテルを後にした。
俺は、葵ちゃんが住んでいるという原町区まで送って行こうと思ったが、国道6号線に出た時点で無駄だと思った。道は、逃げ惑うクルマで渋滞していた。
すでに町は、以前の南相馬ではなくなっていた。
サイレンは、死者の呻き声や悲鳴のような音で町中至る所で鳴り響いていた。初めてさっきの大きな揺れと映像は、現実だったんだと愕然とした。
俺は、居ても立ってもいられなくなった。クルマを置いてすぐにでも陽子や子供たち、両親を探しに行きたい気持ちでいっぱいだった。しかし、隣には葵ちゃんが居た。葵ちゃんは、たった一人の家族であるお母さんのことが心配だろうし、不安な気持ちでいっぱいだろう……俺は気丈に振る舞うように心に決めた。
「ここで降ろして。わたしお母さん探しに行く」葵ちゃんは、小さな声だったがしっかりとした口調で俺に話しかけてきた。
「もう暗くなるし、葵ちゃんの気持ちはわかるけど、今日は安全な場所に行こう!」俺も葵ちゃんと気持ちは同じだ。でもここで葵ちゃんを一人でどうなっているかもわからない暗闇に送り出すことはとても出来ないと思った。
「降ろして!」
もう気持ちは決まっているのだと、ハッキリした口調に俺も心が動いた。
「わかった! 何かあったらケータイに電話するんだぞ、いいなっ!」そう言って葵ちゃんをクルマから降ろした。小高くなった国道からお母さんとの思い出がつまった町に彼女は駆け下りていった。
俺の住む町は、ここから7kmほど下った場所にある。さっきケータイで見た映像は、人まちがいかもしれない。絶対生きているに違いない。そう自分に言い聞かせながら家族を探しに行くことを決めた。
クルマを国道沿いにあるドライブインに停め、家族の住む町に走り出した。
すっかり陽が落ちた町は、異常に寒く感じた。
絶望と不安で身体が硬直し、歯がガタガタと音を鳴らしていた。会いたい、でも身体がいうことを効かず思ったように走るスピードが上がらない。
ふと走りながら家族の顔が浮かんできた。みんな笑ってる。俺は、自然と溢れてくる涙で前が滲んで見えなかった。
もう町は真っ暗な闇に包まれていた。津波が引いた後はどこが道だったのか、わからなくなっていた。まわりには、暗闇の中はぐれた家族の名前を泣き叫ぶ者がたくさんいた。しかし皆どうすることもできず、ただ動揺しているだけだった。
「陽子っ! 翔太っ! 美咲っ!」全身の力を振り絞って家族の名前を叫んだ
寒さと絶望感をかかえて、やっとさっきいた国道まで戻り、クルマに乗り込んだ。
身体の震えは治まるどころか、更にひどくなっていくようだった。
シートを倒し、横になり身体を縮めて寒さに耐えていた。暖をとりたかったが、残されたガソリンメーターのメモリを見てエンジンをかけることを止めた。
ケータイの時計を何度も何度も見るがぜんぜん時間が進んでいない。まだ夜の8時半を過ぎたところだ。夜明けまで恐ろしく長い。もしかしたらこのまま一生夜が明けないんじゃないかと思うほどノロさで不安と恐怖が交互に襲ってきた。
「葵ちゃん、大丈夫かなあ?」ふとさっきの彼女の後ろ姿を思い出していた。
おもむろにケータイのワンセグテレビをつけた。
映し出された映像は、先ほどの津波の映像ではなく激しく破壊された原子力発電所だった。どのチャンネルも深刻そうに語るキャスターとコメンテーターが次にくる恐怖の予告を告げているようだった。
俺は、ワンセグテレビを切りケータイを助手席に置いた。今はもう何も考えたくなかった。いっそこのまま凍死できたほうがラクだと思った。

いつの間にか眠っていた。
町は、何事もなかったかのように新しい朝を迎えようとしていた。
ぼんやりと記憶が戻ってきて、また昨日の悪夢に襲われた。
「そうだ、今日は翔太の誕生日だなあ」そうつぶやき硬直した身体を無理矢理起こして、クルマの外に出た。
国道6号線は、まだひどく渋滞したままだった。
俺は、陽子たちを探すために走りだした。
明るくなってきた町は、いままで俺たちが生きてきた南相馬ではなかった。
もう既にたくさんの人たちがはぐれた家族を探していた。
眠っていた意識が徐々にハッキリとしてきた。見通しのいい場所に出て愕然とした。辺りには、既に息絶えた人が点々と見えた。遺体を見るのは、中学の頃に亡くなった祖父のとき以来だった。
この中に陽子たちがいるとは信じたくなかったが、これだけの瓦礫と遺体を目の前にすると、とてつもない恐怖に襲われ心が折れそうになった。