小説:「土曜の夜と日曜日の夕方」〜後編〜

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長く大きな揺れはおさまった。どれくらい揺れていたのだろう……
初めて経験する大きな地震に俺たちは、かなり動揺していた。
ホテルの部屋は、未だに停電しているようだった。
しばらくは目が慣れなくて何も見えなかったが徐々に部屋にあるものの輪郭が確認できるようになってきた。
真っ暗な部屋で二人の大きな息づかいだけが聞こえていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫!」
葵ちゃんは、まだかなり動揺しているようだったが一応、落ち着いてきていた。
「今の地震すごかったな」
「マジで死んじゃうかと思った」
二人は記憶喪失にでもなったかのように、一つ一つ言葉を思い出しながら話すようにして現実に戻っていった。
「みんな大丈夫だったのかな?」
「お母さん、大丈夫かな?」
葵ちゃんは、仕事に出ているお母さんを心配しているようだった。俺も陽子や子供たちのことがすごく心配だった。
二人ともバスタオル一枚の格好だったので、葵ちゃんにベッドに入るように促した。
葵ちゃんは、すぐに俺の言葉に従いベッドのほうに移動しているようだった。
あの大きな揺れがおさまって5分くらい経過しただろうか、再び大きな揺れが始まった。
「また地震? やだもうー」
葵ちゃんは、すぐに布団をかぶってしまったらしく声はそれ以上聞こえてこなかった。
すごい揺れだ、さっきの地震と変わらないくらいに大きい。 
俺は、また四つん這いになったまま地震がおさまるのを待った。
「誠さんもベッドに入ったほうがいいよ!」
揺れがおさまると葵ちゃんは、そう俺に声をかけてきてくれた。
「ありがとう」とだけ言い、スーツを掛けた場所までゆっくりと移動して、ジャケットの内ポケットに仕舞ったはずのケータイを取り出し、そのままベッドのほうに向かった。
「入るね」
「どうぞ」
俺はベッドに潜り込み、ケータイの電源を入れた。
葵ちゃんも幸いバッグは、枕元に置いていたので顔と手だけ布団から出し、ケータイを取り出していた。
「お母さんに電話してみる!」葵ちゃんはそう言ってすぐに電話をかけた。
すぐに電話はつながったようで、二言三言話してすぐに電話を切った。
「お母さん、大丈夫だったか?」
俺は、陽子たちがすごく心配だったが、葵ちゃんの手前、電話をかけるのを少し躊躇していた。
「俺も、会社に電話してみるわ」
そう言って会社に電話をすると、飯島さんがすぐに出た。
「倉田さん、大丈夫でしたか? こちらは全員大丈夫です。まだ余震が続くと思いますから倉田さんも安全な場所にいてくださいね」
ひとまず会社に連絡を入れられたので安心した。
陽子にも電話をかけようと思い、トイレに行く、と何気なく葵ちゃんに言ってベッドを出た。
その瞬間、また大きな揺れに襲われた。
なんとか這いながら、トイレのほうに向かっていった。
ドアを開け、すぐにトイレの便座に腰をかけて、揺れに身を任せた。
そして、陽子に電話をかけた。
しかし、もう電話は通じなくなっていた。
恐らく回線がパンクしていたのだろう。
用を足していないトイレでも一応水を流そうとしたが、水も流れない。
「クソッ、水も停まったのか」そう独りごちてベッドに戻っていった。
余震は、ほぼ5分に一度のペースで起こっていた。それらはいずれもかなり大きな揺れだった。
1時間ほど続いていただろうか、俺たちも度重なる余震でかなり酔っていた。
二人はまともな会話もないまま、ずっとベッドに入っていた。
「あっ、そうだ!」
そう言って、俺はケータイのワンセグテレビをつけた。
早速ケータイの画面に映し出されたのは、NHKの緊急報道番組だった。
地震情報を伝える沈痛な面持ちのアナウンサーの背後にある大きなモニターには、なぜかいつも見慣れた景色が流れていた。
午前中に行った、あの海岸だった。
「どうしたんだろうね」
葵ちゃんは、心配そうに言った。
「津波が心配ですねー、津波到達時刻が近づいておりますが……」
アナウンサーは、さらに深刻な面持ちになってそう伝えた。
「えっ!津波!」
俺たちは、同時に大きな声で言った。
映像は、まだいつものような穏やかな海のようにも思えたが、遠くに白波のようなものが見えた。
徐々にその白波は、岸に近づくにつれ大きな波へと変わっていた。
「ヤバいよ! どうなっちゃうんだろう!」
震えた声でそう言いながら葵ちゃんは、ケータイの画面を食入るように見つめていた。
次の瞬間、想像を絶する早さで波が押し寄せ、堤防を軽々乗り越え全てを飲み込んでいく津波の映像が流れた。
ケータイの画面では、ハッキリと確認できないが逃げ惑うクルマや人が見えた。
「お母さん!」
「陽子!」
次々と飲み込まれていくクルマや人を見ていて、その中に自分のクルマだと思われるものを見つけた。
「ダメだ! そっちに行ったら! 津波に飲み込まれるぞー!」
テレビは、それらを飲み込む直前に別の映像に切り替えていた。
からだ中の血の気が引いていくのがはっきりとわかった。
停電で部屋の暖房も切れていたせいもあるが、急にガタガタと身体が震えだした。
これが絶望というものなんだと、知った。

部屋の鍵はまだ開かず、閉じ込められたままだった。
俺は、死期の近づいた犬のようにうなだれ、
隣にいる葵ちゃんは、ずっとすすり泣いているだけだった。
しばらくして、部屋の明かりがついた。
何か今まで見ていたものが、映画か夢のような錯覚に陥った。
館内放送では、安全であることを伝えているようだったが、何を言っているのか全く耳に入ってこなかった。
「帰ろうか?」
俺は、家族のことが心配だったし、葵ちゃんもお母さんのことを心配しているだろうと思ってそう言った。
「お母さん、死んじゃった……」
突然おこった悲劇を受入れることができず、精気を失い、涙ですっかり化粧が落ちたその顔は、無表情というよりも亡霊のような印象を受けた。